活動報告

2024/04/07 家康行列に参加しました

4月7日(日)の家康行列に地域武将列として「信光隊」が出陣しました。 

岩津地区を始めとする大勢の方の応援と参加者のパワー、

そして多数の応援旗法螺貝の響きで大変な盛り上がりでした。

天気も良く桜の花も満開で皆さんから「良かった!」の声を聴きました。

この勢いをこれからの活動につなげていきたいと思っています。

2024年04月07日

2021/07/10 岩津城址の今

 岩津城址を目指して孟宗竹倫の鬱蒼とした道を主郭に向かって歩く 土橋を渡りかけたところで急に目の前が明るくなる 岩津城の主郭のあった場所である

 その広場は周りを孟宗竹に囲まれており まさしく600年前ここは竹矢来に囲まれた防御の施された山城で有ったろうと思う

 昔は武士今は兜虫 清掃整備の岩津懇話会と阿部代表の会談はどうだったのかな?会談後の記者会見では一匹と一人がカメラに向かってポーズした 会談は成功だと表情が語る

 枯れ竹が倒れていて藪に立ち入れない状況だったが 会員の2年半にわたる努力とボランティアさんのご理解とご協力により 現在の自慢できる結果を得るに至った 

 岩津城址に向かって東側の参道を上ったとき最初に目につく向かって右手の土塁付近である此処は東日の当たるところで孟宗竹は少ない

 清掃整備前 ここは雑木が繁茂して足の踏み入れることの出来ないような場所であった

 整備した竹林に竹の葉が積もり情景を引き立てている 倒木の丸太椅子でしばしの休息

 丸太は林の至る所にあり道端に積み上げることで山の味わいが深まる

 岩津城址について疑問を持つ それは小石はあるが岩がないことである 土塁 土橋 曲輪 主郭のどこにも岩が見つからない あるのは数えるほどの数の小石である しかもこの城址は土塁から主郭までしっかり残っている 土を積み上げた防御施設をどうやって作ったのだろ?

 土を盛っただけのものなれば600年間も持つとは考えられない たの城跡を見てきたが岩津城跡ほど鮮明に防御施設が残っているのは珍しい どんな技術で施工したのか謎が疑問に変わる

 そして石の少ないことが謎を呼ぶ 本来石組が土の中に隠れて施工していたとしても 長年の風雨で土が流れて石が露出していても不思議ではないがそれがないのが気になる

 数少ない石に謎を聞いてみたい気持ちになる 600年前此処で何が行われたのか この石たちは知っている そして知っていながら黙ったまま次の時代に行こうとしている 謎を残して

 岩津城址での作業の中で大変なのが膨大に出る竹や古木の後始末である 最初は道路端まで搬出 市のごみ収集車に集荷を依頼していたが量に対し道路端まで搬出作業の遅れから伐採処理した竹と木の処理方法を見直し一時的に現地でまとめて保管することとした

 伐採し一定の寸法に刻んだ竹木を一時置き場と決めた場所の周辺から集める

 一時置き場に決めた場所を竹を並べて区画作業 ロープと番線で固定

 区画した中に周辺で伐採した竹木を入れて保管した

2021年07月10日

2021/05/07 岩津城址のご案内

 今から凡そ600年前、松平郷にて勢力と力を蓄えていた松平氏は、ここ岩津の豪族中根大善を討ち滅ぼして、この東山の山頂に山城を築城し戦国時代という歴史への一歩を踏み出した。
 しかし、奇襲攻撃による占領は一方で守りが完全でない危うさを持っており、やがて甲斐の武田の一派によりうち滅ばされる運命であったが、付きがあったのか歴史が松平を必要としたようでこの時すでに松平一派は安城に逃れていて根耐えることがなかった。
 岩津城址には石の碑しかないが、かえってそのことがこの地にいると生き延びる力がもらえるような気がする。今流にいうとパワースポットである。そういう意味でこの地に足を運び、この地が持つ生きる力を全身に浴び人生の活力になればと思います。
 ぜひあなたもお出かけください。

2021年05月07日
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